ひとつめのお話(以前の記事はこちら)
要約すると、
世の中は他人が教えてくれる情報であふれています。
もちろん私もお店の口コミは気になってしまいます。
しかし、それも取り込みすぎると
「やった気になって・行った気になって」満足したり
実際に体験した時に「期待していた結果と違う!」と落胆したり
「お金のムダだった!」と憤慨したり。
自分で枠を決めてしまうことで、そこからはみ出たものや
そもそもそこに入りきらないものが見えなくなってしまう。
もったいないなぁ。
そんな風に感じることがありました。
自分で枠を決めてしまわない。
何でも受け取る。
それが私の大切にしていることのひとつめです。
そしてふたつめ。
相手に委ねることを意識する、です。
以前の私は、自分のワークショップに対して
「このワークでこんな気づきを得てほしい」
「参加してもらうからには、何か必ず持ち帰ってもらいたい」
と、過度な期待を込めていました。
そして
「お金を払って参加してくれたのに
何も掴んでもらえなかったらどうしよう」
と起こってもいないことを『勝手に』心配していました。
さらには
「参加してくれたのに申し訳ない」
「私の力不足だった」
そんな風に思わされるんじゃないかと『勝手に』ツラくなって
やっぱり私にはまだそんな大それたことをするだけの力はないと
『勝手に』思っていました。
こうであってほしいという枠を
いくつもいくつも、せっせせっせと『勝手に』こしらえては
やる前からその枠たちに当てはまらなかったときのことばかり
全部自分の頭の中で『勝手に』妄想して落ち込んで
「ないないない」と思っていました。
そんな枠にとらわれて、開催を躊躇していた時に
周りのステキな方たちから
「誰もやっていないことならすぐに始めるといい」
「視点を自分ではなく、相手に向けるといい」
「ワークショップは生モノ」
「開催することがすでに貢献になる」
「待っているコがたくさんいる」
という今でも大切にしている宝物のような言葉をかけていただきました。
自分が作った枠は当てにはならないし
だからこそ枠を作ったってしょうがない。
私のファシリテーションを見て
「もっと私ならうまくやれるはず! やってみる!」
と思ってくれたら、それはそれでOK。
どんなことが起こっても、起こらなくても
それは誰の責任でもない。
結果を相手に委ねて、なるべく「期待」しない。
という考えに変わりました。
(少しくらいの期待は、私の心の中でしています)
そういう姿勢でワークショップやセッションに臨んでいます。