「私が〇〇だからこうなった」

「こんなことが起こったのは私が××だからだ」

 

自分にとって良くないことが起こった時
このように考えてしまうことはありませんか。

 

私もアクセス・コンシャスネス®に出会う前は
「私が空気が読めていないから、あの人を怒らせてしまった」
とか

 

「私のおしゃべりのせいで、人から嫌われてしまった」
とか

 

起きてしまった、私にとって悪いことに対して
自分が原因だという理由をくっつけては落ち込むことがよくありました。

 

では
「私は○○だ」
という定義づけは本当に正しいのでしょうか。

 

もちろん名前や年齢など事実は別として
例えば「優しい」という単語には、「優柔不断」とか「人任せ」のような
ネガティブな意味も併せ持っていると思います。
人間にいろいろな面があるように
言葉にもたくさんの意味があると、私は考えます。

 

さらには
その定義づけは、本当の自分を表現するものなのでしょうか。

 

周りの人から「あなたって○○だね」と言われて
「私ってそうなのねぇ」と無意識に取り込んだものである可能性はありませんか。
それならば、その定義づけはあくまでも他人のものになります。

 

人からもらって自分に定着させてしまった定義づけを手放してみると
これまで気づかなかったことに気づくことができるかもしれません。

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この記事を書いた人

名古屋在住
Points of You® Practitioner
Access Bars® Facilitator
Access Energetic Facelift® Practitioner
アニマルコミュニケーターです

動物、Official髭男dism、KAN、Hicksville、飛行機が大好き

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